副院長の潤帆です。
一年に一度のこの日。
以前のブログにも書きましたが、12年前に33歳で亡くなった従兄弟の命日
『生きたくても生きれない… 自分が1番よく分かってる。
うちのおっさんを、おじちゃんにお願いしといて欲しい。』
これが、最後の電話での会話でした。
うちの父親への伝言を残して一週間後に逝ってしまった従兄弟。
2日に一度に電話があり話してました。
最後の電話は普通にいつもと変わらない従兄弟で、
一週間後に亡くなるとは思わなかったです
亡くなる前の日に、幻覚・幻聴があり痛みに苦しむ我が子に
伯父が主治医の先生に『何とか楽にしてやって欲しい。』とお願いしました。
主治医の先生は、
『キツいモルヒネの投与をしないと無理です。けど、それはある程度の量が必要です。』
それは、死を意味する量でした。
その日の夕方6時から打ち始める事になりました。
何とか明日の午前中は微か意識があるでしょうから、
明日の朝早めにご家族をと言う事でした。
しかし、次の日の朝7時過ぎに病院に向かってる車の中で
従兄弟が亡くなった事を聞きました。
でも、病院に着いて従兄弟を見るまで信じられませんでした。
病室で手を握った時も温かく寝てるのと同じでした。
病室のドアを開けてベッドの上に寝てる従兄弟の姿は
12年経った今でも忘れられないです。
もう、生きたくても生きれないと確信した従兄弟
我が子の死を決断しないといけなかった伯父
あとで分かった事なんですが、
その時既に大腸ガンの末期で余命1カ月だった伯母
3人が3人共の壮絶な思いを持って過ごした3ヶ月だったんです。
私には到底耐えられなかったと思います。
同じ年の9月の末に、伯母も逝ってしまいました。
伯母も8月の入院するまで病気の事は誰にも伝えてなかったので本当にビックリしました。
1人になった伯父を今は従兄弟の遺言通り父親が見守りながら、
愚痴を言いなが2人仲良く過ごしています(^.^)
なので、一年に一度のこの日には従兄弟に色々と報告すると同時に
自分を振り返る日にしていますが…
元気で幸せに過ごさせていただいてるのに我儘で愚痴が多い自分に反省しかありません。
今日も、伯父と父親は一緒に出かけているそうです(^O^)
何もない、何も起こらない毎日が1番幸せと言う事に感謝して
又今日この日から生きます!
来年には、胸を張って従兄弟に報告出来るように♪( ´▽`)